大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和58年(ネ)432号 判決

控訴人・附帯被控訴人(以下控訴人という)

小西縫製工業株式会社

右代表者代表取締役

小西広一郎

右訴訟代理人弁護士

高橋進

被控訴人・附帯控訴人(以下被控訴人という)

甲野乙

甲野丙子

右両名訴訟代理人弁護士

稲村五男

主文

一1  本件控訴にもとづき原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

二  本件附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用(附帯控訴費用を除く)は第一、二審とも被控訴人らの負担とし、附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴代理人は、控訴につき、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を、附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴として、「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人らに対し各金四一二万〇〇七六円及びこれに対する昭和五五年一二月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次に付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。(但し、原判決六枚目表六行目の「(四)」から同末行の「である。」までを削除し、同裏一行目の「(五)」とあるを「(四)」と、同二行目の「労災」とあるを「労働者災者」と、同一〇行目の「、原告甲野戊は金一〇〇万円及び右各」とあるを「及び右」と各訂正し、同七枚目裏末行の「原告」から同八枚目表一行目の「である。」までを削除する。)

(控訴人の主張)

1  控訴会社は、昭和五三年一二月二九日で就業を終了し、同月三〇日から年末休暇に入り従業員のうち寮で生活していたものは丁美を除いて全員帰郷し、当日は帰郷先のない丁美だけが寮に留まっていた。

2  本件火災の出火場所は一階の寮の丁美の部屋からである。火災報知機のベルが鳴ったので、小西英明専務と金子製造課長が警報標示盤を見て火元の方へ駆け出したところ、丁美が寮から第一工場の中まで走って出て来て寮の自室から出火した旨を報告した。直ちに消火活動をした金子は、丁美や当時工場内にいた小西専務の二人の子供に対し外へ出るように指示したところ、丁美はその指示に従って出火場所とは反対方向のまだ火の手が廻っていない安全な場所である外出口のある事務所の入口へ入っていった。ところが、丁美は出火場所とは反対方向の約三〇メートル離れた自己の作業場で焼死体となって発見された。

3  右のとおり、丁美は、出火場所である自室から安全な工場の中まで一人で逃げ出して来て火災の発生を知らせているのであるから、金子課長が消火活動をしていた場所から外へ出るように指示しただけで丁美は十分避難することができると考え、金子が丁美の手を引張って外へ出なかったとしても当然のことである。本件焼死は、出火場所から逃げ遅れて惹起されたものでもなく、安全な場所に誘導しなかったために逃げ遅れて惹起されたものでもなく、丁美の判断による作業場へ入るという自ら招いた危険な行為によって惹起されたものである。

4  丁美のように、IQ六五程度の軽度の精神薄弱者については、その故に予期しない行動に出てしまうことはあり得ず、この点については健常者と同様に考えるべきである。出火場所から自ら避難しており、更に外に出ろとの指示に従って安全な場所へ逃れた丁美が、その後予期しない行動に出ることを予想せよというのは酷であり、とくに消火活動をしなければならない金子課長にその義務を認めて不法行為責任を負わせるのは不当である。

5  丁美が危険な場所から安全な場所へ避難しながら自らの判断で自分の作業場へ入ったことは自殺行為である。健常者でも自分の作業場に何か私物を取りに戻り、逃げ遅れて焼死事故が起る可能性がある。身障者は絶対に丁美のような行動をするとは限らないのであるから、身障者がした場合も健常者がした場合と同様に雇傭者に過失はないというべきである。

(被控訴人らの主張)

1  丁美は六七歳まで稼働できるから、仮に生活費を五〇パーセント控除するとしても逸失利益は金一〇〇五万一二五六円となる。

68,628円×(1-0.5)×12×24.41=10,051,256円

2  仮に丁美の過失を認めるとしても、人の生命の尊さや障害者を低賃金で働かせて利得を得てきた控訴人の責任に照らせば、その割合は四割とみるのが相当である。

3  丁美の慰藉料金五〇〇万円、被控訴人らの慰藉料各金二五〇万円として右割合により過失相殺し、さらに損益相殺すると被控訴人らの損害は各金三七五万〇〇七六円となる。これに弁護士費用各金三七万円を加えると各金四一二万〇〇七六円となる。

三  証拠(略)

理由

一  被控訴人らの二女の丁美は精神薄弱者であるが、昭和五三年三月京都府立桃山養護学校を卒業し、製綿及び縫製加工並びに販売、寝具の製造及び販売を業とする控訴会社と雇傭契約を締結して入社し、控訴会社内にある従業員寮に入寮し、住込みで同敷地内にある工場において綿を布団カバーの中につめる布団加工の作業に従事していたが、同年一二月三〇日発生した火災により控訴会社工場内で焼死したことは当事者間に争いがない。

二  (証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  丁美は前記のとおり精神薄弱者であるが、精神薄弱者とは通常知能をIQで示した場合IQ七〇未満の者をいい、講学上これをさらに段階に分けて魯鈍、痴愚、白痴と区分することが行なわれている。魯鈍はIQ五〇ないし七〇ぐらいで、正常人よりやや劣る程度である。年齢的にしばしば遅れることがあるが、小学校の学業を一応終えることができ、日常生活に必要な程度の読み書きは習得できるようになるが、抽象的な思考能力では著るしく劣る。職業的訓練の機会が充分に与えられるならば、あまり知的能力を必要としない職業について独立した生活を営むことができる。痴愚はIQ二五ないし五〇ぐらいで成人に達しても精神年令で六、七歳程度にしか達しない。日常生活において、自分自身の身の回りのことは自分で処理することができ、日常の社会生活に必要な会話がどうにかできる程度の言語能力を習得する。職業的に自立することは困難であるが、適当な監督の下ならば農耕、土木などの簡単な作業はできる。白痴はIQ二五以下で、成人に達しても精神年令が三歳ぐらいにしか達しない。日常身辺のことがらを処理する能力もなく、日常普通の危険を避けることも困難であって、保護者なしには生活することができない。

そして精神薄弱者は人の指示に忠実に従う特性があるので、IQ二五以下の精神薄弱者は別として、指示が適切であれば健常者に近い適切なる行動をとり、注意も忠実に守り、また自己の身の安全を守る本能は強い傾向にあり、精神的薄弱者であるが故に予期しない行動にでることはない。

2  丁美の知能はIQ六五ないし七〇であり、精神年令は京都児童院式検査で九歳六か月、鈴木ビネー式検査で一〇歳程度であって、文章による表現がかなりでき、漢字も六〇〇字以上マスターしており、簡単な四則計算も可能であるなど、精神薄弱の程度は極く軽度であって健常者とさほど差がない。同女の性格は真面目で根気、責任感とも強く健康であったが積極性に欠け、動作は機敏ではなかった。控訴会社に就職した当初は性格的に暗く発言も控え目であったが、職場にとけ込むにつれて明るさを増していた。日常生活の面では基本的な身辺処理能力を有していたほか、一人でバスに乗って買物に行ったり、料理を作る能力も有していた。なお視力が後退性斜視で左右〇・三位であったが、控訴会社に就職するについて昭和五二年一二月に手術して〇・九に回復した。

3  控訴会社は、昭和三六年に設立された会社であるが、昭和五〇年頃から身体障害者を雇傭し、昭和五三年当時従業員数約三五名中八名程の身障者を雇傭しており、内二名が会社の寮に寄宿していた。控訴会社の工場は順次増築され、北東側に第一工場、北西側に第二工場、南側に第三工場が存するが、壁が一部取り除かれており、内部は一棟の工場のようになっていた。丁美は第三工場の中央附近にある掛布団の自動縫製機の補助者として稼働していた。寮は第二工場の北側部分の一、二階に存し、丁美の部屋は一階北西角であって、同じく身障者の同僚と二人で使用しており、二階には健常者が三名入寮しており、また第一工場北側部分には寮の管理者である訴外小西弘志夫妻が家族とともに居住していた。右工場の出入口は、丁美の部屋の東隣りにある寮生の食堂兼用の休息室や第一工場の南東角の事務室にあるほか、三、四か所に存しており、また火災報知機や消火栓が設置されており、控訴人会社では年に一、二度避難訓練がなされていた。

4  控訴会社は、昭和五三年一二月二九日をもって年末の業務を終了し、翌三〇日からは翌年一月四日までの年末年始の休暇に入った。長期の休暇の場合、寮生は全員帰宅しなければならなかったので、丁美を除く寮生は三〇日の朝までに皆帰宅した。ところが、丁美の両親は夫婦そろって賭事が好きで子供を放ったらかしており、またサラ金等の借金を多く抱え身を隠しており、丁美にその所在すら知らせていなかったので、丁美は帰宅する先がなく、また一月二日に親戚に当る甲野戊が迎えに来ることになっていたので、控訴会社としては一月一日まで寮で生活することを許可していた。昭和五三年一二月三〇日、寮の管理者小西弘志夫妻は家族で正月用の買物に出かけたため、寮内には丁美一人が残っており、寮生の休息室で石油ストーブにあたりながら編物をしたりテレビを見ていた。

5  同日午前一一時頃相前後して出社した控訴会社製造課長金子貞男及び専務取締役小西英明は第三工場で綿打機の整備作業をしていたが、午前一一時半頃火災報知機の警報ベルが鳴りだしたので、金子は直ちに第一工場北東角に行き同所にある警報表示盤で出火場所が第二工場であることを確認し、現場に行こうとしたところ、第一工場中央附近で丁美と出合い、同人より寮の自室から出火している旨の知らせを受けた。そこで金子は直ちに消火栓のホースで消火に当り、丁美はその傍らで火災の様子を見ていたが、製品である布団が放水の妨げになるので、金子は丁美にそれを移動させた後、第一工場南東角の出口を指さし外に出るように指示し、丁美はその指示に従い出火場所とは反対方向の事務所に通ずる第一工場南東角の出口から一旦工場外に出たが、その後の丁美の行動は明らかではない。

当時たまたま小西英明専務が連れて来ていた同人の小学校四年生と一年生の二人の子供が、その後も工場内で火事を見ていたが、金子はなお消火活動をしていた。一方小西は警報ベルを聞くと工場二階の異常の有無を確かめ、寮内の人の有無を外部から確認するなどした後、事務室から消防署や警察に電話通報し、再び工場内に入り金子の消火の手伝に向ったが、その間丁美に出会うことはなかった。小西は金子の消火活動を手伝ったが、炎が丁美の部屋から工場内に吹き出し、消火活動も充分行えなかったので、子供二人に工場外に出るように告げ、自らは外部の消火栓のところに行ったり、消防車を誘導すべく道路に出て行った。子供達二人は暫くして工場から出て来た。金子は火が工場の天井に廻り煙が充満してきたので素人による消火は無理と考え、工場外に退去した。

6  金子が工場外に出て間もなく消防車が、やや遅れて警察官が到着し、金子は工場内の人の有無について聞かれたが、丁美が外に出ているものと思い込み皆出ている旨答えた。金子はその後警察からの事情聴取のため警察に出頭し、一時間位して現場に戻ってきた。火災は午後一時頃鎮火したが、鎮火前に丁美の姿が見えないことに気付き、集まった従業員、警察官、消防署員等が工場内を除き心当りを探すも見当らず、翌三一日昼頃第三工場内の丁美の職場で焼死体となって発見された(丁美が焼死したことは当事者間に争いがない。)。

三  そこで控訴人の責任について検討する。

1  一般的に、使用者は労働者に対し、労働契約又は雇傭契約に付随する信義則上の義務として、その生命、健康を危険から保護すべき義務があり、その具体的内容は当該契約における契約内容、労働者のおかれている具体的状況に応じて決定されるべきものであるところ、本件の如く、精神薄弱者が会社敷地内の寮に住込みで稼働する場合には、精神薄弱者は正常者に比較して判断力、注意力、行動力が劣るものであるから、会社施設の火災など不測の事態が発生したような場合、それが仮令休暇中当該寮から発生したものであっても、精神薄弱者の生命、身体を危険から保護するため、その精神薄弱の程度に応じた適切な方法手段によって安全な場所に避難させ、危難を回避することができるようにする安全配慮義務があるというべきである。

ところで、本件の事案は前記認定のとおり、精神薄弱者である丁美が、火災報知機の警報機の作動と機を一にして寮から第二工場を通り第一工場まで出てきて、たまたま出社していた金子に対し火事の発生を知らせ、その後一旦火災現場近くに戻ったものの、消火活動をしていた金子から、未だ火勢が強くない段階で、火災の現場である第二工場から反対方向の出口を指さされ外に出るように指示され、一旦は外に出たものの、出火現場とは反対方向の、金子の指示した出口よりさらに遠い第三工場に立戻り、同所で焼死したものである。しかも、丁美は精神薄弱者ではあるが軽度であって、IQ六五ないし七〇であり、小学生三、四年程度の知能を有しており、五体健全であって避難に介護を要することなく避難能力を有していること、現に火災発生とともに第一工場まで出て来た後金子の指示に従って外に出ていること、他方金子は現に消火活動に従事しており、また当時工場には金子の外には小西専務しかおらず、まして初期消火の段階であって未だ火勢が弱く危険な状況ではなかったこと、そして精神薄弱者であるが故に予期しない行動に出るおそれのあることを予想することはできないこと、さらには丁美が避難した後になお工場内にいた小学生四年生と一年生の子供が無事に避難していること、また丁美は一旦外に出たにもかかわらず再び工場内に立戻っているのであって、仮に金子が現実に丁美を工場外に連れ出したとしても再び工場に立戻ることも考えられないではないことに照らせば、金子はたまたま休日に出勤してきた社員であって控訴会社の安全配慮義務についての履行補助者といえるかはさて置くとしても、金子には、消火活動を中止して丁美を外に連れ出す義務は存しないといわなければならない。また金子は自身が工場外に退去した際に丁美が安全に避難したことを確認してはいないが、前記認定の如く、丁美は未だ安全な時期に外に出たのであって、従業員や消防署員や警察官までもが丸一日かかって工場内を除き丁美を探していたことに照らせば、通常の注意義務をもってしては丁美が工場内に立戻ることは予想し得ないことであるから、金子には、丁美が再び工場内に立戻ることまで予測する義務はこれまた存しないといわなければならず、丁美が既に安全に避難しているものと考え丁美の避難の確認をしなかったこともけだしやむを得ないことといわなければならない。

以上のとおり、仮に金子には控訴会社の安全配慮義務についての履行補助者としての責任があるとしても、金子が前記認定の状況のもとに丁美に対してなした処置に義務違反はないから、他に控訴会社の債務不履行につき主張立証のない本件においては、控訴会社の安全配慮義務違反はないといわなければならない。

また、被控訴人らは控訴人の不法行為責任を追及するが、金子に丁美を安全に保護すべき注意義務があるか否かはさて置くとしても、前記認定のとおり、金子の避難誘導に過失は存しないから、控訴会社には金子の使用者としての不法行為責任はない。

四  以上の事実によれば、被控訴人らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべきところ、これと結論を異にする原判決は失当であって本件控訴は理由があるので、原判決中控訴人敗訴部分を取消して被控訴人らの請求を棄却し、附帯控訴は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用及び控訴費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野千里 裁判官 稲垣喬 裁判官 島田清次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例